今月は、「戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日」の月です。私たち日本人の悲願ともいえる、みんなが気持ちよく生きられる平和な世界をつくるために、自分に何ができるのか? 今月の会長法話を通して学ばせていただきましょう。
・ゴミをポイ捨てする人をいくら責めても、いらだちや怒りで、心に苦い思いが広がるだけですから、人の捨てたゴミのことで、自分の心まで汚すことはないのかもしれません。
散歩がてら、妻とともに道に落ちているゴミを拾い集めたことがあります。
そのときに気づかされたのは「捨てなければ拾わなくてすむ」という当たり前のことですが、そのおかげで「私はけっして捨てまい」と心に刻むことができました。同時に、道が汚れていて気になるのであれば、人を責める前に「まず自分から」行動を起こせばいいということを教えられた気がします。
気づいたら、まず自分から……ゴミ拾いに限らず、それは気持ちのいい日常生活をおくる手立ての一つです。
そこで大事なのは、その行ないが自然な心のはたらきであること、そして実践
する自分がそれを楽しいと感じることだと思います。
私たちは、みな仏の御いのちをいただいている菩薩です。ですから、「してい
る」という意識や、「させられている」という不満があると楽しみにはならないでしょう。
大自然が無償の恩恵を注ぐように、困っている人がいたら自然に手を差しのべ、
汚れている場所があれば率先してきれいにする。そしてそれが楽しいという以外、何もとらわれるものがない。仏の遊戯三昧にも似たそういう心であることが、「まず自分から」の実践ということになるでしょうか。
・「協力」という言葉の「協」の字には、力をあわせ和合するとの字義があります。家族を労り、まわりの人を思って「まず自分から」心を寄せ、力をあわせるなかに、みんなが気持ちよく生きられる平和な世界が訪れるのでしょう。
また、平和という意味では、積極的な行動だけがそのための「実践」ではなく、批判したくなるような人や許し難い人を包容していくこと、そういう意識の変革も、私たちの大切な実践行ではないでしょうか。
毎日を気持ちよく平和に生きるには、責めたくなる人に出会ったら、どのくらいその人を受け容れていく自分になれるか、楽しみながら練習することのように思うのです。今月も、「×」と思うことのなかに、どんな「○」を見いだせるか、楽しみながら練習を繰り返し、意識改革をさせて頂きましょう。